The book selection by MIDI Janitor


音楽と本と人の〈あいだ〉を繋げ合う

『lecteur 〈 〉 liseur 』


ammelでセレクトした音楽。それらを創ったアーティストの方々に、選書をして頂く企画です。

第六弾は、カナダ・バンクーバーのIDM作家MIDI Janitorです。

道端のゴミ箱で見つけたMIDIコントローラーと、古めかしいメディアからかき集めた素材で構築した「Holy To Dogs」が記憶に新しいです。

トマスの福音書からアルバム名を引用し、ゴミとなりうるモノたちを組み合わせて音楽を作り上げた彼が選書したのは、アメリカの詩人 Barton Smockの詩集 「57 Letters to Ethan Hawke, or I wanted to stop saying god
letters 1-57」でした。

 

 

ーまず、あなたがバートン・スモックの詩に出会ったきっかけを教えていただけますか?いくつかの作品は出版社から刊行されているようですが、大半はセルフパブリッシングのようで、この『57』という詩集もそのひとつですね。希少性の高い作品だと感じています。

「こんなに美しく、深い詩に出会ったきっかけが、実はとても平凡なものだったというのは、少し皮肉でもあります。きっかけは、誰かがインスタグラムで彼の詩をリポストしているのを見かけたことでした。それを読んで、私は本当に衝撃を受けたんです。まるで脳にレモンを絞られたような感覚でした。すぐに彼に連絡を取り、作品への愛を伝えるとともに、本の購入を申し出ました。私は、こうした衝動にはすぐに行動で応えるべきだと信じています。芸術に心を完全に奪われるような経験なんて、本当に滅多にあることではありませんから。」

 

ー彼の詩のどのような面が特に響きますか?

引用:『音楽を作り、そしてその音楽を聴くための神を発明しなさい。』

「彼の言葉は、私の頭皮をぞわぞわさせ、瞳孔を爆発させます。それは世界であり、同時に世界ではないものです。聖なるものと冒涜的なもの。聖霊と、7-11でフライドチキンを買うジェイソン・モリナ。データプランを持つ天使たち。創作でも鑑賞でも、私は常にその奇妙な場所にたどり着こうとしています。美と恐怖が並んで歩む、不気味の谷。知るべきでない何かを、まさに告げられるような場所。角を曲がってその先を見る方法を知るような感覚。脳に絞られるレモン。虚無と卵の割り方について語る1-800の電話番号。そんなところです。」

「私は自分の音楽を、一方的な『表現』とは捉えていません。それはむしろ『交わり』であり、『儀式』であり、『典礼』のようなものです。何かに突き動かされる行為だと思っています。バートンの詩もそれに近いです。儀式のようで、疲れた召喚のようでもある。そして私の音楽と同じように、彼も同じ要素を何度も使い回し、普通は機能しないはずの方法でそれらを組み合わせている。にもかかわらず、それが機能してしまうんです。いつも安価で忘れられた日常的なものを、非日常的なものと混ぜ合わせて、普通のものを使って非凡なことを語ろうとしている。古いおもちゃのカシオシンセで奏でる、美しいメロディーのように。『性別適合手術とパスワード』、そして『神と距離』を同じ詩の中で語り、それらすべてを同じくらい普通で、同じくらい深遠なものとして描き出しているのです。」

 

「彼の詩集の、最初の詩の、最初の一行にはこうあります。」

引用:『歌が流れ、その歌が流れていることを忘れさせた。』

「これは、私の魂を震わせました。なぜなら、私はこれが分かるからです。『歌の下の歌』を聴かなければならない。これこそが、私が音楽でいつも目指している瞬間です。ちょうど、芭蕉がこう詠んだように――」

『須磨寺や 吹かぬ笛聞く 木陰かな』

 

ー相反する要素が同時に存在し得る世界観というのは面白いですよね。 あなたにとって詩や音楽などは昔から身近な存在でしたか?触れるきっかけなどを良ければお聞かせください。 

「私は、人生の形成期をアイルランド共和国のドニゴール周辺の、かなり荒涼とした孤立した場所で過ごしました。あの美しくも奇妙で、どこか幽玄な土地によって、自分は確実に形作られたと思っています。あまりにも質素で、本質的なものだけがある世界です。少し気取った表現に聞こえるかもしれませんが、私はずっと『Unbegan(始まらぬもの)』、つまり私たち全員が生まれる前にいた『形のない世界』とつながっているように感じてきました。ただ、それは決して暗いことでも、ネガティブなことでも、悲観的なことでもないのです。だからこそ、私にとって詩や音楽は、そこへ戻るための最も短い道のりなのだと思っています。」

 

ーインストゥルメンタルの音楽は、歌詞のある作品に比べて表現に限りがあると見なされることもありますが、バートン・スモックのような詩や書籍が、あなたの音楽制作に影響を与えることはありますか?

「私は、インストゥルメンタルの電子音楽が、歌詞のある音楽よりも表現の限界があるとは考えておりません。むしろ、歌詞のある音楽は意味を狭め、固定してしまうことが多いと感じています。多くの場合、それは特定の瞬間を伝えることに集中しており、聴くたびに同じことを語りかけてくるように思えるのです。一方で、電子音楽には多くの『空間』があります。そこに、自分自身の経験を毎回持ち込むことができるのです。そして、『あなたが変わることで音楽も変わる』。この考え方は、『同じ川に二度入ることはできない』という思想に近いと感じています。」

「とはいえ、詩、特にバートンの詩が、限られた要素と行数で『神秘的な領域』にたどり着く、その方法にはとても強く惹かれています。彼の詩が私に与えた影響のひとつとして、次のアルバムは、より直接的で洗練されたものにしたいと考えています。旋律やハーモニーを、そのまま、むき出しの状態で、弱さや脆さを持ったままそこに置いておきたいのです。加工やレイヤーに埋もれさせるのではなく、音楽がそれ自身で語りたいことを語れるようにしておきたいと思っています。」

 

引用:『親愛なるイーサン・ホークへ
癒し手の秘密の食事法は飢餓を混乱させる。
テレビは月のないカレンダーだ。鏡の中で、私は唯一の鏡となり、幽霊の血の味を知る。
時間は私と共に安全だと君に伝えたい。天使の目は霧で満たされる。
これらの体は何もしていない。』

 

ー相反する要素が内在することを良しとする姿勢、電子音楽に「空間」…「余白」と言い換えてもいいかもしれません…を持たせる姿勢は日本などの東洋の思想・哲学に近しいものを感じます。芭蕉の名前と俳句が出てきたのも驚きましたが、日本の文化はあなたの人生観、音楽観には影響がありますか?

「私の人生や音楽における日本文化の役割は、『発見』というよりも『確認』に近いものだと思っています。日本を訪れるたびに(これは多くの人が言うことですが)、まるで『自分の心の中にそのまま足を踏み入れた』ような感覚になるのです。」

「人間が生まれるということは、一つの独自の『形』が生まれることだと思っています。それは、川の流れの中で、ある一滴の水が岩にぶつかったり、滝から落ちたりして、全体から切り離されるようなものです。その瞬間、その一滴の水は、自分がどこから来たのかを見失い、本来の『区別のない状態』に戻りたいと切望するのです。禅僧の鈴木俊隆(Shunryu Suzuki)は、アメリカのヨセミテ国立公園で1,340フィートの滝を見たときに、これこそが人間の『存在』の本質なのだと感じたそうです。」

「私たちが『生』と『死』を、この滝の水の分離に重ねて理解することができれば、新しい視点で人生を見つめることができるはずです。滝を落ちていく過程では、たしかに苦しみが続くかもしれませんが、最後には下で待つ『川』に戻ることができるのですから。」

 

ー「Unbegan」...存在や本質をありのままに受け取るという姿勢は、育ったドニゴールの風土によって形成されたのですね。だからこそ、俳句や禅といった日本の文化が「発見」より「確認」に近いのも頷けます。 生と死の死生観を「滝」という水に捉え、自分の存在と音楽との関係を「川」という水に…「never stepping in the same river twice.」で表現するのはとても興味深いですね

BartonSmockの詩から出発した言葉の旅は非常に楽しかったです。次の音楽も楽しみにしています!

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