これは通常のインタビューではなく、まだ会ったことのない二人のあいだで交わされた、
回想録のような断片的な対話であることを初めに断っておきます...
― 電子音楽においては、機械と人間の主導権をめぐる議論がよく語られますが、あなたはその手綱を自ら握っているように感じます。
「私にとってLena、そしてそれに続くアルバムは、本を書くこと、私がどう本を書いているかの絵を描くことにとても近いものです。そのプロセス全体が、音という素材によって語られていきます。それは一種のホログラムのようなものです。」
「私は“試す”ことをしません。アレンジやサウンド、音の“色彩”、さらには曲名に至るまで、実際に制作に取りかかる何年も前からすでに頭の中にあります。Lenaとそれに続くアルバムに関しては、すべてがすでに私の中に存在しています。今この時点でも、5作目をどのように終わらせるかを正確に分かっています。これをお伝えしているのは、私が音楽制作においてどれほど厳格で意図的であるかを理解してもらうためです。私は機械に判断を委ねません。偶然が入り込む余地はありません。」
― 父親は家庭における絶対的な秩序や法を象徴する存在であり、率直に言えば神のような存在でもあります(私は典型的な日本人と同様に無宗教ですが、キリスト教の愛や仏教の自己観には敬意を持っています)。ある年齢までは、その秩序の中で生きることで、過去の自分はほとんど父親と重なります。父(過去の自己)を振り返り、音楽性を再検証することが、Lenaという旅なのでしょうか。
「私は人間関係を理想化することに取り憑かれています。それを骨組みまで単純化し、そこから再び組み立て直し、新しい環境に置き直すのです。父親という存在は、Lenaの人格がどのような環境から生まれてきたのかを描写するための一つの手段でした。そうすることで、リスナーは聴きながら自分自身を重ね合わせることができます。この方法によって、私はリスナーに自由な連想をさせるのではなく、自分が考えてほしい方向へと導きます。そのとき初めて、このプロジェクトの目的を感じ取り、細部まで理解し、そして私の芸術の主題に向き合うことができるのです。」
― Lenaのアルバムにおいて、父親を男性像に置き換えたのは、ご自身の過去や父親を乗り越える試みでもあるのでしょうか。音楽、人生、宗教は密接に関係していると考えています。
「私の父は、私が音楽家やプロデューサーになることを決して支持しませんでした。労働者階級の家庭に育った私にとって、芸術家になることは選択肢ではなかったのです。父は、私が才能や人生、可能性を芸術に費やしていると思っていました。私は成績もよく、行儀の良い子どもでした。父は、常に困難と隣り合わせで生きる芸術家よりも、医者や弁護士になってほしかったのです。善意からのことでしたが、それをうまく表現することはできませんでした。そのため、長年にわたって父との関係は敵対的なものでした。彼が亡くなるまで続いたのです。
しかし同時に、父はとても善良で、大きく温かい心を持った人でもありました。それはずっと理解していましたし、良い父親であることを疑ったことは一度もありません。ご覧の通り、彼の存在はLenaの物語における、切実で矛盾を抱えた人物像と重なっています。私は父の一部であり、Lenaは私の一部を宿した想像上の娘です。そしてその間にいるのも、やはり私自身なのです。」
「最終的に分かっていただけると思いますが、Lenaシリーズは想像上の娘の人生を描いているだけでなく、女性という形を借りて、幼少期から老年期までを投影した私自身の人生でもあります。現在は3作目に取り組んでおり、それは彼女の“中年期”を指しています。」
「なぜ私が女性という形にこれほど執着するのか疑問に思われるかもしれません。
それは、女性が男性よりもはるかに脆く、繊細で、色彩に富み、適応力があり、有能だと感じているからです。彼女たちの強さは肉体的なものではなく、その価値は測ることができません。そしてそれは、私の音楽の在り方とも重なっています。」

― Lenaをジャンルレスな音楽として表現しようとする背景には、特にミニマル・テクノを含むテクノという形式に閉じ込められた世界への危機感があるのでしょうか。
「率直に言うと、キャリアの初めから私の音楽は特定のジャンルに収まったことがありません。私は音楽シーンの中では、いわば“異端”の存在でした。この20年間、さまざまなジャンルの人々が私に興味を持ってくれましたし、その中には一時的にルーマニアの人々が共鳴してくれた時期もありました。」
「正直に言えば、そのムーブメントが最盛期だった頃、私はルーマニアン・ミニマル・シーンに対して非常に批判的でした。それはジャンルそのものではなく、シーンや“政治性”、ヒエラルキーに対するものでした。短期間のうちに、すべてがコピーのコピーになり、本来の意味やメッセージは失われていきました。多くの若者が小さなレーベルを立ち上げ、音楽をリリースし、DJやプロデューサーを名乗り、『自分はルーマニア人で、ルーマニアン・ミニマルをやっている』と主張するようになりました。」
「一方で、中心的なアーティストたちはその状況から目を背け、安価なミニマル音楽が業界を蝕んでいることを自分たちの問題ではないかのように振る舞っていました。私も何人かと率直に話しましたが、彼らは皆とても礼儀正しく敬意を払ってくれたものの、最終的には『シーンを管理する責任は自分たちにはない』という同じ結論に至りました。」
「私は、芸術の背後にある文化を重んじる考え方を強く信じています。原則、経験、ビジョン、才能が一体となって、あるマイクロカルチャーのヒエラルキーを形成すべきだと考えています。だからこそ、その価値が浪費され、最終的に失われてしまったことを批判しました。
「私はこの現象からできる限り距離を取ってきました。(日本とヨーロッパ中部では、ro-minimal/ローミニマルの在り方が大きく異なっていたことも理解してほしいです。)
あなたの質問に答えるなら、はい、私の作品の多くは“テクノ”というクリシェ、ローミニマルを含め、それに対して意識的に距離を取るものです。」
― 現在の音楽、特にエレクトロニック・ミュージックの状況について、どのように考えていますか。
「私たちは今、アナログとデジタルの両方を含め、正直でジャンルに縛られない音楽を生み出すためのすべての道具と知識を持っています。しかし現実には、現在のエレクトロニック・ミュージックの95%は、30年前の基準を繰り返しているだけです。同じキック、ハイハット、クラップ、同じ退屈な4つ打ち。しかも、デトロイトやシカゴが持っていた本来のメッセージや反骨精神はすでに失われ、ただの空洞になっています。」
「近年ではコンテンポラリーや実験的なジャンルでも同じことが起きています。本来、制約のない自由な創造があるべき場所に、模倣者が溢れ、互いの音を複製し合っています。その結果、多くの作品がまるで同じ人物によって作られたかのように聞こえてしまいます。本当に独自で妥協のないものを見つけるには、虫眼鏡が必要なほどです。
「私はそうした状況に加わることができません。意識的にアウトサイダーとして、シーンの外側に留まっています。私の目標は、エレクトロニック・ミュージックをより人間的で、よりユニークで、よりドラマティックで、より正直なものにすることです。」
― 誰もが音楽を作れる時代において、ジャンルが形成されるまでのプロセスそのものが重要だと感じます。
「ジャズを例にすると分かりやすいでしょう。マイルス、コルトレーン、セロニアス・モンク、チェット・ベイカー、デイヴ・ブルーベック。彼らは同じ“ジャズ”という言葉で括られながらも、それぞれが全く異なる声を持っていました。しかも彼らは一つの楽器だけでそれを成し遂げていたのです。」
「今や選択肢は無限にあるにもかかわらず、多くの音楽は弱く、退屈で、軽く感じられます。本当に価値のあるものを見つけるには、虫眼鏡が必要です。私は現代のエレクトロニック・ミュージック・シーンから、多様性と独自性が失われていることを深く残念に思っています。新しいリリースを探すとき、私は常に新しい“声”を探しています。それこそが、この芸術の進化を押し進める存在だからです。」
― この対話から約2年が経ち、2025年にはLENAシリーズ第3作『MAIDEN』がリリースされました。その間、ご自身の環境にも大きな変化があったと思いますが、それは音楽制作に影響を与えましたか。
「2025年に私はアゼルバイジャンのバクーに移住しました。これは人生を大きく変える出来事でした。約20年間活動してきた場所を離れることで、同じように物事を見られるのか、同じように考えられるのか、不安もありました。まだ断言はできませんが、うまくいくと思っています。新しいスタジオも整い、音もとても良いです。ただ、何も急いではいません。」
「LENAシリーズのコンセプトは何年も前からすでに完成しており、私の頭の中にあります。それが変わることはありません。第4作、そして最終作となる第5作も進行中で、2030年までにリリースされる予定です。」
ー20年もの月日を過ごした場所を離れるというのはやはり不安も勝りますよね。日本では「身土不二」という言葉があります。「身体」と土地は二つに分つことはできないという意味です。本来は土地と身体を創る「食材」の話ですが、「感性」も土地とリンクしていると私は思います。 私はまだ同じ土地で20年もの記憶を蓄積した経験がないのですが、あなたの不安、とても伝わりました。
ーしかし、新しい土地で新しい感性、新しい身体を得ることは恐れることではない、変化は悪いことではないと言葉を添えさせてください(今回のように変化していくことで新しいものが創造されます)。